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vistaのクラッシュ投稿者: Kuri 投稿日:2009/08/19(Wed) 23:33 No.211  
vistaもSP2が出て早速updateした、その後デフラグしたらなぜかクラッシュ。どうやってもwinが起動しない。仕方なくクリンリカバリすることにした。Cドライブのパーティションを60GBにしていたが、使っていると残り9GBなどということも、(これはvistaの余計なお世話でシャドウコピーを残すためらしい)少し増やしておいたほうがよさそう、ということもあってクリーンリカバリすることにした。

購入直後にやった時パーティションは元に戻されてしまうことを覚えていたので、データ領域は丸ごと外付けhddにコピーして、Acronis Disk Suiteで上書き消去してからリカバリーディスクでクリーンリカバリーを始めた。(ここまでは余裕)

インストールも終わりwinとnisのupdateさて後付ハードのドライバーをインストールしようと思ったらなぜかできない????
仕方ないからまたはじめからやり直し・・・

今度はnetも外してupdateしない設定でリカバリー、まずドライバーのインストールから今度はうまくできる・・・
ではパーティションを切りなおして、いろいろ変えてある設定もやり直しwinのupdateから、nisは以前とらぶった時に2008だったのを2009に変えてあったので、その時のインストーラは別に保存していたからこちらに変更してupdateしようというわけでインストールしたらしまった、アクティブ化していなかった。
これでは15日のお試し版・・・nisのディスクは無い、リカバリディスクを探しても見つからない、ガ〜ン
あせったまたはじめから???

その時システムの復元を思い出して試してみるがだめ、もう少し前はどうか?何回やってもだめ(後で考えてみればシステムの復元は何かでシステムがとらぶった時のwinの復元だからソフトが復元しないのは当たり前)

結局またクリーンリカバリー今度はnisだけアクティブ化してまたnetを外し、ドライバのインストールwinupdateの設定やwinmailの設定をして、(これだけで22GBvistaのでかさに改めて驚く)パーティションの切りなおし、各種設定のやり直し、nisも2009でupdateいよいよsoftのインストール(ほとんどがフリーウェア)ところが肝心のphotshopとsilkypix(どちらも写真用ソフトでDL版)はてプロダクトキーやシリアルはどこ???DLしたときにメールで来ていたかな?

これは後にして丸ごとコピーしていたdataをまたコピーして、各々のホルダのlinkの設定をやり直してwinmailを確認してみると受信したメールがない・・・コピーしたあったほうも確認すると、メールらしきものはあるが0KB・・・何と中身がない(またまたあせった)

そうだwebメールのniftyメールを使うのでwhinmailは受信してもサーバにコピーを残す設定にしてあったので改めて受信してみるとあるはあるは1800通近く(niftymailはサーバが5GBあるので削除せずほったらかしにしてあった。)血眼で探してみたら見つかった!!
gmailもそうだがwebmailはサーバ容量が大きいのでこんな時は助かる。メーラーで受信してPCに大量のメールを保存するのはちょっと考えてしまうがメールだけにこれだけ容量があればほったらかしても10年位は保存できる?これが無料で利用できるのだから使わない手はない。

というわけで何とか復旧できたが一つだけ人にもらったHP用ソフトのキーが見つからない、これでは30日のお試し版・・・さてどうしたものか?彼も覚えてないだろうな・・・

丸々4日もかかってしまった、といっても前の2日半は丸々無駄な労力それも夜中の2時ころまでやっていたから、実質3日半か?、いずれにしてもクリーンインストールとupdateは時間がかかるこんなトラブルがなくても丸1日以上はかかる。

というvistaクラッシュのお粗末リカバリでした。チャンチャン

皆さんも購入したソフトのキーやシリアルは大切に保管しておきましょう。
また、ご自分の大事なデータは買ったままの設定で、Cドライブのユーザホルダに保存しないで、ほかのドライブ(最近のメーカ製ノートPCでもパーティションを切って見かけ上複数のHDDになっていることが多いのでドキュメントホルダやpictureホルダはDドライブに移しておけばこんな時に外付けHDDを購入して丸ごとコピーで手軽に救済できます。(Cドライブの中身が確認できてもどこにデータがあるのかわかりずらい)

長文の読みずらい投稿ですみません。
本当に暑い投稿者: kamada 投稿日:2009/08/15(Sat) 15:23 No.210  
日向は、すごく暑いですね。
夜も湿度が高く寝苦しいです。
早くすずしくなってほしいですね!
暑いですね投稿者: kamada 投稿日:2009/07/26(Sun) 12:31 No.206  
毎日、うざるような暑さがつづいていますね。
雨風が、強い日もあり出かけるのがおっくうになります。
やかんでお湯をわかしているみたいに、湿度が高い中、花たちは
よく咲いています。



子供は元気投稿者: tujikawa 投稿日:2009/07/26(Sun) 15:43 No.207  

今日は、月に一度の和泉川清掃ボランティアの日。
川でゴミ拾いしてると、男の子3人が川に飛び込んで遊んでいました。
水深70〜80cm位の川に、2.5m位の高さから飛び込みます。
歳を聞いたら2人が9歳、1人は8歳でした。
川の中で魚捕りしたり、川岸で遊んでいる子供は良く見掛けますが、
川に飛び込んで遊んでるのを見たのは初めてでとても嬉しくなりました。
子供はやはり自然の中で思いっきり遊ぶのが一番ですね。
ビデオコーナーに飛び込みの瞬間の映像を載せました。
トムラウシ山遭難に思う投稿者: tujikawa 投稿日:2009/07/18(Sat) 22:11 No.203  
北海道大雪山系のトムラウシ山で9名、美瑛岳で1名、合わせて10名が遭難死しました。
トムラウシ山は日本百名山の1つで、山上付近のお花畑がきれいなことで人気の高い山です。
しかし、コースが長く厳しい山です。

僕も3年前の8月上旬に、大学時代の山仲間8名でこの山に登りました。
層雲峡からロープウエーで黒岳に登り、後は遭難パーティーと同じルートを通り、
トムラウシ山を経てトムラウシ温泉に下りました。

初日、2日目は快晴でしたが、3日目のトムラウシ山は、霧と雨で何も見えず、
記念写真を数枚撮っただけで、早々に麓のトムラウシ温泉に下山しました。
この日は朝5時前に小屋を出て、温泉に着いたのは11時間後の午後4時過ぎ、くたくたになったのを思い出します。

トムラウシ山は標高2141mですが、緯度が高いので本州では北アルプスの3000m級に相当すると言われています。
新聞記事では昨日は20-25mの強風が吹いたそうなので、体感温度はー10度以下だったと思います。
朝から強い風が吹いていたそうなので、その状態で小屋を出たのはリーダーの判断ミスです。
募集ツアーだったので、日程を優先し強行してしまったのだと思います。
途中でメンバーがバラバラになり最悪の事態を招いてしまいました。

山に入ると雨が降ったり、風が吹くのは当り前なので、僕らでも判断に迷うことは少なくありません。
3年前、僕らが登った時、朝は曇りでしたが、頂上では晴れるかも知れないと期待して登り、結果は霧と雨でした。
不幸中の幸いで風は吹いたものの強風という程でなく、体が凍えるようなことはありませんでした。
ただ、同じ日に単独でトムラウシに登った登山者が行方不明になり、1週間後に奇跡的に救助されました。

山に行くと大自然の大きな魅力に触れることが出来ます。
特に北海道は登山者も少なく、その景色を自分達で満喫することができます。
ただ、山では気候の変化で、気温が一気に下がるこが良くあります。
この機会に僕も気を引き締めて山に登ろうと思います。
映画「劔岳 点の記」投稿者: tujikawa 投稿日:2009/07/05(Sun) 22:41 No.195  
相鉄ムービルで、「劔岳 点の記」を観ました。明治40年代、まだ未踏とされた劔岳に、地図を作るために三角点を建てる任務を負った測量官 柴崎芳太郎(浅野忠信)と山案内人 宇治長次郎(香川照之)を主人公とした物語です。

僕は山が好きで、北アルプスには何度も行ってますが、劔岳にはなぜか登りそびていました。2年前、大学時代の山仲間から劔岳に登ろうという話が出た時、この機会を逃すと一生劔岳に登ることはないかも知れないと思い仲間4人で出掛けました。

初日、立山で泊りましたが、泊った宿が天狗平山荘、そこに「劔岳 点の記」のポスターが貼ってありました。夜、宿の従業員、実は元長野県警山岳救助隊員という方が「劔岳 点の記」の話をしてくれました。「劔岳 点の記」は、この山荘に木村大作監督が泊りこみ、俳優達もここに泊りながら、あるいは東京とこの山荘を往復しながら撮影したそうです。

翌日、僕ら4人は立山三山を縦走し剣山荘に泊り、翌日1人は大日岳を、僕を含む残り3人は尾根通しに前劔、一服劔、カニノタテバイ、カニノヨコバイを経て宿願の劔岳頂上に立ちました。このコースは北アルプスの一般コースでは難しい部類ですがそれでも道はしっかりとついています。

100年も昔、粗末な装備で、道なき道を探しながら頂上を極めるのは想像もできない程大変だったに違いありません。この映画を作るにあたり、監督、カメラマン、俳優達は、実際に重い荷物を背負い、撮影のため、何度も頂上を往復し、当時の雰囲気を作り上げようとしたそうです。

インターネットによると、6/20ー7/1でこの映画の観客が100万人を突破したそうです。映画は観て貰ってなんぼの世界なので、ある意味、現代的でないこのような映画を沢山の人が観るのは関係者にとっても、日本映画にとっても、そして映画を観た人にとっても、素晴らしいことだと思います。

添付の写真は、2年前、劔岳に登る前日に撮影したものです。写真で厳しさを表現するのは中々難しいですが、それでも劔岳のゴツゴツした感じが何となく分かると思います。



昭和31年マナスル登山投稿者: tujikawa 投稿日:2009/07/14(Tue) 21:05 No.200  

enagaさん、

昭和33年と言えば、第3次マナスル登山隊(槙有恒隊長)がマナスル登頂に成功した昭和31年から2年後ですね。
あの頃、日本では登山が一大ブームで、私も昭和36年大学に入り登山を始めました。
歳をとっても続けられるのが登山のいいところですね。本日、関東でも梅雨が明け、いよいよ夏山シーズンとなりました。
今年もどこかの山に出掛けられますか?
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このプログラムは KENT 氏の yybbs を xoops(PHP) に移植したものです
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